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2014年2月 5日 (水)

表現の自由について考えたり

YAHOO!ニュースに次のような記事を見つけました。

<村上春樹氏>小説に「屈辱的表現」

村上春樹氏の小説「ドライブ・マイ・カー」の中で、中頓別町出身の専属運転手みさきが火のついたたばこを運転席の窓から捨てた際、主人公の感想として「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」との記載があるそうです。

この記載について、中頓別町の町議さんが、「中頓別町では、ポイ捨てが普通であるということはない。この表現は屈辱的表現だ。」として、文芸春秋に真意を尋ねる質問状を送ることを決めたというものです。

私は、この小説は読んでいないので、その他にどんな表現がされているかわからないのですが、記事を読む限り、主人公が運転手の行動を見て、「普通にやっていることなのだろう」と感じたというだけで、「中頓別町ではポイ捨てが普通だ」と言っているわけではないと思いました。

まあ、自分の住んでいる町について、そのように小説で紹介されて気分が良くないのはわかりますが、小説の中の表現であるということを考えなければならないと思います。

ルポタージュとかノンフイクションとかで、事実と違うことを書かれては、大いに抗議されてしかるべきですが、小説表現としては、あり得ると思います。

主人公は、作家とイコールではありません。作家は、登場人物にいろいろなことを語らせますし、場合によっては、真実ではないことも語らせることもあります。

中頓別町と表現しないで、N町と表現する場合もありますが、実生活では、N町なんてないわけで、どうしてもリアリティを出そうとすれば、実際の町名を使用することもあります。

まとめとして、「これは小説の中のことなのだ。実際には中頓別町でポイ捨てをする人はいませんよ。」とにっこり笑って読み流す、聞き流すということだけでいいのではと感じたのです。

今は、TVでも表現方法が問題にされ、抗議を受けて内容が変えられたり、場合によっては途中で打ち切られることもあります。

こういうことが続くと、表現する側が抗議を恐れて、どんどん自主規制をしていくことになります。小説でも実際の市町村名を書くと、抗議が来ると困るから、A市、B町、C村にしようとか・・・。そうするとどんどん表現がやせ細っていく気がします。

「まあ、小説だからとかお話だから」というゆとりの姿勢が社会に必要なんじゃないかと思ったので、ちょっと書いてみました。

違う意見の方もいると思いますが、個人的な意見なので、読み飛ばしていただければと思います。

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